ビジネス・ブレークスルー大学大学院 同窓会

ビジネス・ブレークスルー大学大学院の同窓会交流サイトです

同窓生コラム

死ぬまで打席に立つために US14込山洋一

同窓生コラム 死ぬまで打席に立つために

 

卒業から2年、 BBTを卒業したのは50歳だけど、この区切りのよさは偶然ではない。

23歳で起業して四半世紀を迎える頃、僕は経営者としても、自分が身を置く業界(出版)的にも、ぼんやりと限界を感じ始めていた。

経営者としての自分は、優秀な人材が集まってくるのにその能力を活かしきれないジレンマがあった。どこにリソースを集約し、また何をバッサリ捨てるべきか判断基準とそれを支える知識がない。当然何が自社の本当の価値なのか理解できていないから、新しいことを始めるにしても打ち手が限られる。経営者が無知である罪は重い 。

出版業界が縮小と迷走を続けているのは、何も日本国内だけの話ではなく、海外の日系メディアも同様で、 テレビ局やラジオ局、新聞社、情報誌がバタバタと看板を下ろした。30年前にライトハウス(弊社の日本語情報誌)を創刊した時、ロサンゼルスだけで日系メディアが30社近くあって、2018年現在5、6社まで減っているが、その間に廃業した数は100社を超える。

そんな中で自社はどう舵を切ったらよいのか、どこへ向かえばよいのか。「灯台(ライトハウス)」という媒体名なのに自らの道標が見えない。

このままではマズイ。

50歳のその先が描けない。

48歳で僕はBBTの門を叩いた。

入学後、死にそうに喉が渇いた馬のように目の色を変えて学んだ。経営者であることとか、50歳近いオッサンであるとか、中途半端でしょうもないプライドは捨てて必死で食らいついた。教授やTAはもとより、クラスメイトの投稿や反論にも、どれほど力をつけてもらっただろう。そのおかげで一生つき合っていきたい仲間も得ることができた。

そうそう。入学してみるとオーナー経営者の役得もあった。BBTの学びはすべて実践的だから、学んだ端から経営や営業の現場で実践できる。実践することで知識は始めて身について知恵になる。学びがそのまま血肉になる手応えがあった。

やがて業績にも現れ、なんとかかんとか2期連続で売上も利益も伸ばすことができた(いや、本当に必死でもがきながらだけど)。

野球に例えるなら、選球眼とミートする技術が向上したことで、打率と長打率の両方がマシになっている感じ。
あと何十年打席に立てるかわからない。クリーンアップを打つ力がなくなったら、あるいはもっと相応しいバッターが出てきたら潔く譲る覚悟はある。

ただこの先も一生学ぶ習慣を持ち続けることで 、死ぬまで打席に立ち続けたい。
 …………………………………………………………………………………………………………………………

ライトハウス会長・込山洋一(こみやまよういち):
1965年生まれ。国立弓削商船高等専門学校 航海学科卒。
1986年国交省航海訓練所の練習船(日本丸、大成丸)での1年間の航海実習でロサンゼルスの青空と自由闊達な風土に魅了され卒業と同時に渡米
学習塾経営を経て1989年日本語情報誌ライトハウスを創刊。現在に至る。
2016年ビジネス・ブレークスルー大学大学院経営管理修士課程を修了。